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【アラベスク】  第19章 朝靄の欠片



第2節 再びボロアパート [19]




 アタシの名前など、唐渓の全校生徒が知っていて当然。そんな態度をマントのように翻しながら廊下を突っ切る同級生を思い浮かべる。そうして、地面の少女に重ねてみる。
 まぁ確かに、気位は高そうだな。
 ユンミの足の下に敷かれているのに上から目線を貫こうとするその態度に妙な説得力を感じる。そんな相手に唇を噛み締める弥耶。
「マジで知らないのかよ? ウソだろ。ひょっとして知らないフリして同情してんのか?」
「同情?」
「唐渓追い出された哀れな小娘みたいに思ってんのかよ?」
「追い出された? じゃあアンタ、やっぱり唐渓の生徒なんだ」
「生徒だった」
 吐き出すように訂正する。そうして、いやらしく瞳を細める。
「へぇ、唐渓のアイツら、まんまと事件を闇に葬ったってワケだ。あれだけの大事(おおごと)なんだから、隠そうとしたってどっからでもモレるもんだとは思ってたんだけどな」
 呟くように言い、改めて美鶴を見上げる。
「そうだよな。唐渓の生徒がクスリに手ぇ出して、挙句校舎から飛び降りて自殺しただなんて話、唐渓のバカどもの間に広まるワケがないか」
「はぁ? 自殺?」
 尋常ではない。
 美鶴は眉を潜める。
 生徒が自殺? そんな話、聞いた事も。
 そこで目を見開く。
 そんな話を、聞いた事はなかっただろうか? あったのではないのか? それはいつだ? そうだ、ちょうど一年前。いや、美鶴が一年生から二年生に進級する時の春休みだったから、一年と数ヶ月前という事になる。
 当時、唐渓で数学の教師をしていた門浦(かどうら)という人間に(たぶら)かされて、女子生徒が一人、命を落とした。美鶴は、彼女に麻薬だが覚せい剤だかを渡した犯人にされそうになった。駅舎で、門浦とその仲間に殺されそうになった。
 目を見開いたまま必死に思い出す。
 あの時自殺した女子生徒の名前を、美鶴は知らない。
 学校側が必死に隠そうとしている事件だったので流れてくる噂は断片的だったし、美鶴は校内では孤立していたので詳しい内容までを掴むことはできずにいた。事件に巻き込まれた張本人なので、自殺した生徒との関係について問い(ただ)されてもおかしくはなかったのだが、犯人がすべてを自供してしまっているという事と、美鶴が高校生で未成年であり、被害者でもある事から、ヘタに追求して精神的に追い詰めるのもよくはないだろうと、学校側と警察が相談しての対応だった。美鶴の口から事件の全容がモレてマスコミなどに騒がれても困る。まぁもっとも、教師が捕まったのだから事件自体を隠す事などできるはずもないのだが、それでも伏せる事のできる情報はできるだけ伏せておきたい。それが学校側の心情だったのだろう。
「柴沼」
 そういえば、そんなような苗字の生徒がいたような気もするが、覚えはない。
「そうか、あの時の」
 ユンミに押し倒された少女を改めて見下ろす。
 この子は、妹なのか。
 って、唐渓を追い出されたって?
「追い出された?」
 事情はわかったが、状況は相変わらず理解できない。自殺した生徒の妹が、なぜ美鶴を襲う?
 相変わらず怪訝そうな表情を浮かべる美鶴。
「追い出されたって事は、唐渓には通ってたって事だよね?」
「さっきからそう言ってる」
「それがなんでこんな事を?」
 チラリとナイフへ視線を投げる。アスファルトの上に無造作に投げ出されているそれを、手を伸ばして拾おうという気にはなれない。
「私、何か恨まれるような事って、したっけ?」
 美鶴が彼女の姉を自殺に追い込んだワケではないし、むしろ彼女が自殺してしまったがために美鶴はそのトバッチリを受けたようなものなのだが。
 解せないと言わんばかりの相手に、弥耶はチッと舌を打つ。とても元唐渓生とは思えない。
「これだからお嬢様は嫌いだ」
「そういうアンタだって、同じ学校に通ってたんでしょう?」
「そうだね。外に出なけりゃ、唐渓の生徒どもがどれほどバカでアホかって事には気付かなかったかも。その点では、追い出されたのはラッキーだったのかもしれないな」
「ねぇ、さっきから追い出されたって、それ、どういう事?」
「言葉の通り」
 気怠(けだ)るそうに口元を捻り上げる。
「追い出されたの。アタシは辞めるつもりなんてちっとも無かったのに」
「辞めるつもりなんてなかった? って事は、無理矢理辞めさせられたって事?」
 唐渓を?
「何よそれ? わかってんでしょ? 唐渓がどういう学校か。知ってて知らないフリするヤツって、見てて腹が立つ」
 唾を飛ばすほどの勢い。ユンミが押さえつけていなければ飛びかかってきそうだ。
「姉さんがクスリに手を出すなんて不祥事を起こして、唐渓としては迷惑極まりない。この責任は取ってもらう。つまり、脅しよね」
 だが唐渓の関係者は、まるで当然と言わんばかりの態度で、弥耶と両親に向かって退学を促してきた。
「今なら、自主退学という形で事を収められます。なにより柴沼南菜さんの自殺の原因自体、こちらとしては隠密にしたいですからね。南菜さんは成績不振に思い悩んで自殺した。ちょうど三学期の成績が少し下がっていたようですから、誰も疑ったりはしませんよ」
「それは、南菜の自殺の原因を捏造するという事ですかっ」
「捏造とは心外ですな。麻薬に手を出して、などといった原因が知れ渡るよりよっぽどマシです。それはこちらとしても、そしてそちらとしても同じでしょう?」
 唐渓中学の校長は、校長室で向かい合う柴沼家の三人に向かって意味ありげに瞳を細める。
「柴沼さんは、確か自動車関連会社の技術員でしたなぁ。将来を有望視されているとお伺いしましたが、自動車産業も最近は海外メーカーとの競争が激しいようですからねぇ。大規模なリストラを行っているところもおありでしょうし」
「お願いです。南菜の話は、どうか内密に」
 縋るような母の顔を、弥耶は冷めた瞳で見つめた。娘の死の真実よりも、夫の出世の方が大事で、それは当たり前だというような表情だった。夫がリストラされて収入が減って生活水準を下がってしまうくらいなら、娘の死の真相など揉み消してしまった方がマシだ。なにせ、自分たちはまだ現実世界を生きていかなければならないのに対して、娘はもう死んでしまっているのだから。
「もちろん、お嬢さんのお話を悪戯に公表するつもりはありませんよ。ですが、それは条件次第です」
「弥耶は、どうしても退学、ですか?」
 父親が苦しそうに声を出す。
 弥耶の家は、唐渓ではそれほど上流には位置しない。中の下といったところだろう。そんな家庭環境で、二人の娘を私学の、それも高額な学費を要求する唐渓という学校へ通わせるのは決して楽な事ではない。だが、母親がどうしても通わせたいと願い、二人の娘も母の期待に添うべく頑張って勉強してきた。厳しい受験戦争を勝ち抜いて唐渓中学へ入学した。なんとしても、二人とも無事に卒業させてやりたい。そのために父親は必死で稼いできた。
 その結果が、姉の自殺と妹の退学、か。
「弥耶に罪はありません。成績もそれほど悪くはないはずです」
「確かに弥耶さんの成績は悪くはない。むしろ上位に位置しています。高校へ進んでさらなる勉学に励めば、こちらが期待するような、いや、それ以上の大学へ進んでくださるのではないかと思ってはいます」
 校長は、そこでコツンッと机を叩いた。
「ですが、やはりお姉さまがあのような不祥事を起こされたのですから、それは血縁である弥耶さんにも連帯して責任を取っていただくのが筋というもの」
「そんな」







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